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東日本大震災からおよそ3年。
未曾有の大災害はテレビや映画など数えきれない無数のドキュメンタリー作品を産み出しました。
極限状況にいち早く飛び込みカメラを回したもの、長期間撮影を続けたもの、あえて被災地に行かなかったもの…
作り手の数だけ多様な震災への関わり方、そして葛藤があったはずです。
東日本大震災はドキュメンタリーの作り手たちにどんな問題を投げかけたのでしょうか―。
3年後の今だからこそ、様々な立場のゲストを迎えて話し合います。

開催日時:2014年2月8日(土)13時30分〜15時30分  編集:加瀬澤充  撮影:清水哲也

作り手が現場で感じる高揚感とは?

山崎:さっき安岡さんとかみんながおっしゃったけど、ある興奮とかテンション上がるとか、現場での自分自身の興奮が自分たちのものを作る作業にどう影響したかって、今、どう考えていらっしゃるんでしょうか?
池谷さんも結構、興奮していましたよね。

池谷:あのね、僕、すごくやっぱり、今でも忘れられないのはね、陸前高田に入る前に気仙沼港を抜けて行くんだけどね、あそこで、あれ多分、遺体捜索だと思うんですよ。
僕とだいたい同年輩のおっさんが、おじさんが、水産工場かな、もうボロボロになったところに仁王立ちでね、ずっとその重機の作業を見てる。
その時にね、カメラ撮ってるんですよ。
ところが僕、近づいて行ってね、声かけられなかったの。
で、30年こういう仕事してますけど、声かけられないっていうのは、さすがに初めてで、やっぱりこれはとんでもないことなんだなという風に思ったんですね。
ところが、そうやって陸前高田に行ったら、さっき言ったように花見をやってたりしてて、で、まあ、佐藤直志という木こりの爺さんの家に訪ねて行ったら、ああまたなんか怒られるか、ぐらいの気持ちで行くわけですよね。
ところが「よく、来たね」ってこうくるわけですね。
で、やっぱりなんだろうな、そうやって触れていくということでしかないんと思うんですよね。
それと僕はね、2回目実は撮りにいったのは、その直志さんの息子が消防団で亡くなったんだけど、四十九日と納骨だったんですよ。
今度はそれを撮りにいった時にね、撮る気にならなかったの。
で、かわりにね、要するにお葬式、つったって何もできないわけですよ、被災地は。
だからね、精進料理を、僕は車、持っていたもんですから、買い出しに行って精進料理をつくらせてもらった。
で、それはもちろん、そのなんて言うのかな、変な色気があるわけでもないんですよ。そういうのって、ほんと何かやっぱりしてあげたいというか、できることはないかなっていう風にして、まあ、そういうことがあったですね。
で、それは最後までずっと言ってくれたね、あれ、あの時は嬉しかったってね。まあ、そういうことで付き合っていくんですね。
で、だいだい僕は、あつかましいですから。あそこは寺のお堂があってそこが避難所みたいになってたんだけど、僕は、その前はずっと車中泊を続けていてね、だいたい宿っていうのは、このNHKの連中に全部おさえられちゃうから(笑)。
僕らは、もうとにかく最初は車中泊でしかないわけですよ。
これは、しんどいなと思っていてね、俺もカメラマンもイビキがでかいしね、もう地獄のような感じだったんだけど、そしたらそのお堂に、あの直志さんが、メガホンでもって、「おーい、泊めてやりなさい」つってくれたのね。
そこから僕はそこに転がり込んで、これで何とかなったなと。
で、以来、そこで僕は3食、メシ食わせてもらって、夜は一緒に酒、かっくらって、そうやってずっと撮影をしていたんですね。
で、だからね、誤解を恐れずに言うと、僕はそこ通ってて結構楽しかったんだわ。
やっぱり、すごい人と出会って、そういう風にメシまで食って、ていう生活をずっと一緒にするわけですからね。で、ただまあ、その時にね、一宿一飯の恩義っていうのがあるでしょ。
だから、ちょっと不思議な撮影でした。というのはね、撮影半分、お手伝い半分みたいな感じだったの。だから、田植えが始まれば田植えの手伝いをして、収穫の時はそう。で、祭りの時なんかは人手がいないんでね、で、僕らが出来ることはさせてもらうと、いうような感じで。
なんか、一緒に映画つくったっていう感覚になれたのは、まあ、非常に幸運だったですね。

山崎:今までの池谷さんの作品とトーンが違うのは、その辺なのかな。

池谷:そうかもしれないですね。あのう、何だろうなあ、僕、だいたいね、ほら、どっちかというと、僕が仕掛けて撮りに行くっていう腕力使って撮るタイプなんですけどね、前作の「蟻の兵隊」なんかを見てくれたら、ほんとによく分かると思うけど、今回はね、僕の方から、何かをしてくださいって1回も言わないままに終わってしまったんですね。
最後、ラストカット、朝日の中でお茶を飲むっていうシーンがあるんですけど、その家が建ってね。その時だけ、「頼むから、直志さん、ズボン履いてくれ」つってお願いをしたんだけど、そのくらいのことでね。
ほんとに何もお願いをせず、これを撮りたい、これをやってくれってことを言わずに撮ってしまった。で、面白いですね、山崎さんね、そうやって素直に撮ると、編集って逆になんでもできるじゃないですか。
時間、空間、飛び越えて、色んなことができる。で、さんざんそれ色んなことをやったんだけど、でもね、驚くほど、また素直にカレンダーのとおりに戻っていったりする。
ただ、その時にね、さんざん、こねてますからね、ワンカット、ワンカットにある種の思想性みたいなものというのは、それでついてきたのかもしれませんけど、そういう意味では今までと違った体験でしたね。

加瀬澤:安岡さんはどう思いますか?

安岡:いやあ、僕は、そういうのがないんですよね。
あのう、ほんとにさっき言った様ないきさつで行ってみたはいいんだけど、

山崎:いやあ、多分「311」の皆さんていうか、綿井さんはちょっと特殊だけど、ほんとに興奮してますよね。ある意味。

安岡:興奮はしてます。間違いなく。ただ、

山崎:はしゃいでると言っていいかもしれない、

安岡:そういう絵、使ってますからね。はしゃいでる臭いでつくってますけど、あの僕自身、僕と松林かな、彼の信条は彼にしか語れないから、僕は逃げ出したいぐらい嫌な気持ちでね、で特にあの「311」ご覧になったら分かると思いますが、最後に、あの、今思い出してもね、だめになっちゃうんですけどね、あのう小学校の生徒さんのランドセルが並んでいる絵を撮っていたとたんにね、もう、体が震えだして、涙がぼろぼろ出て、もう体が硬直するみたいになったんですよね。で、あのう森さんと綿井さんは、親御さんたちの捜索に同行するっていうんで、どんどん、どんどん瓦礫の中に消えて行くっていう。
僕はもう動きがとれないから、俺はここで待機するって言いつつね、あの時のね、なんか、ほとんどあの1日っていうのは僕の何かある人生の中でものすごく大きな1日だったなあという。
要するに撮れない、体が動かない、何かこうガタガタ震えるみたいなね、そういう自分とそして仲間たちは、どんどん撮って行く、撮りに行く。後れを取る自分。
で、待ってたら、そこは実は、ご遺体が集まる場所で。
来ないだろうと思ったんですよ。そしたら僕がいる、正にその時に、ご遺体があがってきてっていうね、で、その時に反射的に僕はまわしちゃったっていうか、撮らなきゃいけないって思って、撮っちゃった自分がいる。

山崎:そういう時に、まあ他の国分さんなんかにもお伺いしたいんだけど、今、取材しながら何を感じたかっていう部分では、大野さんの話とかよく分かるんですけど、でも取材対象に対していわゆる加害性、カメラが持ってる暴力性とか、取材する行為の持っているそういう力ということを、みなさんよくご存知の方だと思うんだけど、その辺のこと、取材対象に対してのその辺のパワーをどういう感じで意識してらっしゃったんでしょうか。

国分:あの、もちろん取材というのは、加害的なものであるというのは、まあ当たり前のことで、人によっては、その加害性を飼い馴らしたり忘れるために、大義とかを持ち出すんでしょうけど。僕の場合は、ネタによっても違うのだけれど、加害性をうっちゃることのできる何かは必要だと思ってます。ただ知りたかったとか、行きたかったでもいいのだけれど、何かがないと、正直、耐え難いかな、と。
南相馬の番組の場合、「自分が的になる」という手法と、自分が150日以上通って思うに至ったこと、つまり、「(被害があろうとなかろうと)放射線の前では人間の命も動物の命も等価である」ということに正直であり続けるってことが、加害性をうっちゃることができるかもしれない、数少ない、制作上の憲法かなと思って作りました。動物の出産とか交尾とか死滅とかを挟み込むことについては、「動物より人間だろ」とか「カッコつけているように見えるから外せ」とか言われましたけれど、どうしても譲れなかった。短くするのはいいけど、削除なら辞めてやるぅみたいな。ちょっと綺麗ごとのように聞こえるかもしれませんけど、1年を通じて自分が現場でリアルだと思ったことは通さないと、加害性だけで終わっちゃうじゃん、と踏ん張りしました。ま、それがちゃんと届いたかってことは自分では推し量れないので、お褒めの言葉も悪口もひっくるめて反応の的にもなるしかないでしょうかね。僕はけっこうなマゾだから、何言われても何とか立っていられますけど、この課題についてはけっこうしんどいです、毎回。

安岡:あの、まあ加害性っていう風に大きく考えるかどうかって問題があってですね、キャメラってだいたい異物なわけじゃないですか。
皆さんの日常の中には絶対有り得ない物でね。
そのキャメラが、ズカズカ、ついてきて、その後ろになんか棒の先にマイクがついて、それを前から向けられて、これ威圧しないはずがないんで、当たり前の話なんですよね。
で、あの、そのことで拒否する方も当然おいでになるし、で、その拒否する方々をあえて僕らは追うかというと、僕は追わないですね。
つまり、そこからひとつのある共犯関係、共有関係みたいなものが生まれてくる。
先ほどね、取材されて、みなさんほんとによく熱っぽくお話になるっていう、被災された方々がねっていうお話をお聞きして、つまり、こちらは何かを伝えたい、撮りたい、記録しておきたい、そういう思いを言うならば、ガチガチに武装しながら迫って行って、それは確かに威圧的ではあるんだけど、でも、その我々に対して自分たちの言葉であったり、そういったものを向ける。
で、それがやがてその、方々、自分たちの日常にそのキャメラが入るという瞬間を許してくださる。要するに、そこからある共犯関係、共有関係っていうんですかね、共に何かつくって行くってことに近いような状況が展開して、そしてその何か、奥行きっていうんですかね、普通のその、日々のニュース的な捉え方じゃ見えてこない、その人の内面であるとか、歴史であるとか、暮らしの蓄積、そういったものが見えてくることなんじゃないかなと思いますけど。

加瀬澤:松江さんは、「311」をどう批判したんですか?

松江:まあ色々あるんですけど、1つ思ったのは、「現場」という言葉「被災地」という言葉を使った時に、何かこう風景がみんな一緒なんですね。
例えば、今も何カットかありましたけど、「被災地」を撮るってなった時に、必ず車の車窓で撮ったりとか、あとこう、陸にあげられた大きい船とか、1本残った木とか、みんなおんなじ絵を撮るじゃないですか。
で、やっぱり現場に行って高揚して、さっきも、より大きい被害とか、絵になるものをみつけてしまうという。
で、正にそうなんだなという風に思った。あと、OKカットが見えなかったんですね。
安岡さんは、すごくこう、自分たちの気持ちだったりとか、カメラの加害性っていうことをおっしゃってるんだけど、でも僕は、果たしてそれは、要するにご遺体を前にしてる人を撮って、加害性をとるということをそこまでしないといけないのかっていうことをすごく疑問で。
それは、僕、森さんは、特に著作とか本で書かれてることは、「現場」は必ずしもそこだけではないというか、テレビを見たりとか、何ていうんですかね、何か色んなそういう書き方をしてきた人が、直接的に撮るっていうことがすごく暴力的に見えて、で、あとOKカットが見えないって言ったのは、皆さん映像の話をするときに、絵の話をするんですけど、僕は、音をすごく大事だと思っていて、必ずしもカメラで撮るっていうことイコール映像だけではないと思ったんですよ。
音で表現できることもあるし、こう、映画って映さないことで想像させるというか、基本的に撮れないということもフレームの中というか、フレームの外を想像させるというか、僕はそういうつくり方もあると思ったので、何かみんながみんな撮ろうとするって、これは果たして、何て言うんですかね、その、さっき「311」を見て思ったのは、その音を撮ってる人がいないというのがショックだったんですよね。
みんな映像を撮ることで躍起になっていて、例えば1台のカメラはもうマイク代わりに使うという使い方も極端な話、してもいいと思ったし、僕は安岡さんから映画学校で、そういう意味で教わっていたので、この音はどうなんだろとか、そういうことも含めて、すごく色んな疑問があったんですよね。
それは、やっぱり「現場」に入ってしまった高揚感っていう、そこがあるんだなというのが、正直そこがショックだったんですよ。

山崎:確かに、対象との共犯関係っておっしゃったけど、共犯関係成立していないプロセスを撮っていってますよね。そういう意味では、共犯関係って対象と被害者って、本当の意味での共犯関係って成立するんですかね。

安岡:あのう「311」が終わったあと、色んな形で被災地、まあ被災地に足を運びながらね、あと何ができるんだろうと模索の中で、まああの幾つかつくったんですけどね、そこでこう、僕自身が現場に行くっていう形では、物理的なこともあってできなくて、で、ちょうど3月の8日に公開されるんですけどね、「遺言 原発さえなければ」を3月の12日からの震災の翌日からずっと記録し続けた、豊田直巳と野田雅也や、2人のジャーナリストの映像を僕の方でまとめますと、まとめさせてくださいみたいな形でやってきて、で、そこには、やはり僕らが帰ったあとの時間みたいなものがあるんですね。
それは取材者である豊田さんと野田さんが、言うならば本当に3月の映像なんてのは、本当によそよそしいというかね、取材を受ける人と撮る人という関係だったのが、次第に映像の中の表情が変化していって、彼らが伝えたいこと、それは、キャメラを利用して何とか見せようとする。
そうするとまあ、5月、6月ですかね、あたりになると、どんどん、どんどん、キャメラが入っていけてるんですね。
で、その、ずっと映像を見続けながら、なるほどこういう風にして本来は、つながっていって、そこから深まっていくってことだって、そんなことは百も承知なはずなんだけど、でも311のあとって自分が見えなくなってたんでね、僕はなんかその、編集作業を通じて、そういったものをもう1回自分で握りなおすことが出来たなって、そういう実感がありますね。

池谷:だから、どう関係を結ぶかということにつきるんだと思うんですよね。
あのう、やっぱり最初に会った時のね状況と、それからやっぱり時が経っていくと全然変わってくる。当然やっぱり共犯関係というのは、震災の映画であってもそれはあるわけで。
例えば、ぼくの「先祖になる」場合なんてのは、木こりの老人だから、彼らが自分を木を切るシーンを僕らに撮らせたくなってくるわけですねよ。
で、その頃から僕は、これは「先祖になる」は震災の映画じゃないんだっていう風な意識になっていけるわけですね。
で、明日ちょっと難しい仕事があるなんて電話かかってくるようになってね。
明日、こういう伐採やるから撮りに来いっていうわけですよね。
だからそういう風な関係になっていく、その必要があったと思うし、それと今やっぱり撮る行為ということが、すごく中心の話になってますけど、僕は今度の映画のときはね、これは撮りながらどうやって見てもらおうか、ものすごい意識したですね。
で、簡単に言うとね、まず被災地で上映できる映画をつくりたかったの。
中々そういう映画がなかったから。
で、それはあの、やっぱり僕らが色んなことを教えてもらってね、伝えてもらって、せめて何かお返しできることがあるとすればそれは、まあこの映画を見て少しでも元気になってもらったりとかね、何かそういうことができたらいいなというのは、ほんとに照れずに。それは今回は僕は思いましたね。
だから例えば、ちょっともうひとつはね、悪者をつくりたくない。
で、…なんかは敵をつくると簡単なわけですよね。例えば行政であるとか、原発だったら東電とか悪者にしちゃえば、そういうつくり方っていうのは非常に構造がやさしくなってくるんだけど、それをやりたくなかったですね。
要するに行政だってどうしていいか分からない状況の中にある。
それをカットの中でどう表すのかな、シーンの中でどう伝えるのか、それはやっぱり今回は充分注意を払ったところでしたね。

山崎:テレビの場合、地方とか関係なく全国区で地元も含めて流すわけじゃないですか。国分さんなんかは、地元の人に見られる、取材した人達も一緒に見るという状況で、放送れていることはどう思いますか?

国分:そこは、ものすごいある種の審判ですよね。僕の場合、震災の番組以外は、まったく気にしないようにしよう!と思い込んできましたけど、この震災の番組については、生まれて初めて、ちょっと怖かったです。一応、放送に出る人全員にあてようとしましたけど、見つからない人とか、覚えてない人とか、時間が経って意見が変わったという人とかいて、きつかったです。最後は押し切ったのですが。池谷さんとか現地で放送できるとか、取材対象者と一緒に見ることができればよかったのでしょうけど、やっぱりそれはきつかったかなぁ。まあ、逃げですよね。ただ、最初にも云ったのですが、あの番組は被災地外に向けて作ったつもりなので、被災者に何を言われても仕方ないと腹はくくりました。被災地に喜ばれようが、喜ばれまいが、これは被災地外に向けて作った番組である、と。
実際、被災地での評判は良くなかったと思います。立場ある人なんかは特に。これは人づてに聞いたのですが、こんなこともあったんだそうです。僕の番組の放送を見ていた人たちが怒って、NHKの南相馬支局に、今すぐ来い、文句があるからと電話したそうなんですね。記者が呼ばれた飲み屋にいくと、誰もが口々に番組を罵ったそうです。「南相馬の恥を放送しやがって、どうしてくれるんだ」「復興に賭けて一生懸命生きてる者もいるんだぞ」「避難した人たちが放送見たら、誰も帰る気を失くすだろ、どう責任をとるんだ」とか。で、散々罵倒して、でも最後に彼らの一人がこう呟いたそうなんです。「でもまあ、ほんとのことだよな。俺もそう思ってるし」。放送への罵声は僕も直接間接問わず、ずいぶん聞きましたけれど、これが一番きつかったですね。
ただ、こんなことも思うんです。例えば、ある農業者がいて、田んぼを除染して米を作ろうとしている人を追った番組があるとしますよね。でも、その農家が作ったコメから微量ながら放射線が検出されたとしますよね。安全基準の範囲内ではあるけどゼロではないというレベルで。
たぶん、わが社では、2012年の気分だと、放送をやめるか、その部分はカットしてたと思う。風評被害については臆病ですから。特にローカル局は。
でも、俺は、それは違うと思う。「正義」より「真実」の方が尊いと思う。

加瀬澤:萩野さん今の聞いてどう思いますか?

萩野:今の皆さんのお話を聞いていて感じるのは、やはりカメラというものが明らかに「力」を持っているということです。でも、その力というのは、イコール「暴力」ということにはならないと思うんです。これまでもドキュメンタリーはたくさんつくられてきましたし、今もつくられている。それはなぜなのか。単なる暴力の装置であったら、そんなことはありえないわけですよね。
 カメラは力を持っている。それは例えば目の前にいる人の声を聞き届けることであったり、その人の存在を認めるということ、そういう力のことです。テレビであれば、何万という人がその人の存在を知り、声に耳を傾ける。それはやっぱりカメラが、あるいは「映像」が、力を持っているから届けることができるわけです。
 撮る側がハイになっていたという話がありましたけど、撮られる側もハイになっている、あるいは少なくとも普段とは違う在り方でいるわけですよね。池谷さんが「関係性を築く」というお話をされましたけれど、対象となる人の演技を引き出していくというか、人が自分自身を気持ちよく演じていけるような関係性をつくっていくことで、カメラが持ちうる加害性を越えていくことが出来るんじゃないかと思うんです。カメラがまわされている非日常の空間の中で、自分自身を演じることで、何か自分では知らなかった自分を発見したり、普段は理解できなかったことがすっきりと理解されたりする。そのときに人は、撮る側の人間、あるいは「映像」というものをいっそう深く信頼するんだと思うんです。
 私がそういうことを一番強く感じたのは、濱口竜介監督と酒井耕監督が共同で撮られた「なみのおと」に始まる「東北記録映画三部作」でした。あの三部作は、まさにカメラがあることで被災者の方たちが自然に「おしゃべり」を始める、そのさまを記録しているんですね。自発的なおしゃべりを通じて、彼ら自身が今置かれている状況や心の在り方を理解し、分かち合う。それは「加害」ということとはまったく別の、カメラの力です。ですから、人にカメラを向けるとき、その「力」をどのように使うのかが、すごく重要じゃないかなと思います。